先日、妻の知り合いの方からひょんな事でこんな記事があるのを教えてもらいました。
それは、雑誌『太陽』に載っていたコラムです。
『太陽』なる雑誌は、平凡社が出版していたグラフィックマガジンですが、
今は休刊していて代わりに『別冊太陽』が刊行されています。
さてその『太陽』1992年7月号の中にある高橋睦郎氏の連載コラムに登場してくるのが、
私の大叔父である初代社長なのです。
ここで、私の会社の前身である『中谷商店』の事についてお話しさせていただきます。
私の会社『株式会社ナカタニコーポレーション』の前身である『株式会社中谷商店』は、
昭和初期に広島から上京してきた私の大叔父によって東京都港区に設立された会社です。
当時は田村町と言われた、今で言う新橋は日比谷通りに面した場所にありました。
初代は、この地で骨董屋を営みます。当時は銀座から新橋にかけて骨董商が大変多かったと聞いています。
今でもたくさんの骨董店、美術店、ギャラリーなどが残っています。
この中谷商店は、西洋アンティーク家具や掛け軸、骨董陶磁器類や茶道具、絵画などがあると思えば、
事務機器類まで置いている古道具屋でした。
当時の事務家具は木製家具なども多かったようです。
のちに、大オフィス街へと新橋が変わってくるにつれ、事務機器類が多く取り扱われるようになりました。
手が足りなくなると、二代目である私の父が手伝うようになり、場所も足りなくなり新橋にビルまで建ててしまいました。
さて、連載コラムですが『詩人の買物帖―7 <antique なぜ骨董か>』に出てきます。
詩人である高橋睦郎氏の友人であった画家の金子國義氏がもともと中谷商店の常連客であったそうで、
その金子氏に教えてもらって高橋氏がお客さんとしていらっしゃったのが昭和39年頃だそうです。
もう50年以上前の話ですね。
金子氏の影響で、西洋アンティークに興味を持ち始めた高橋氏は、コラムにお店の事をしばらく書いたのち、
初代の事をこう書いています。
『親父がいたってお人好しで、気分がいいとずいぶん負けてくれた。ちょくちょく行って買ったもののうち、両翼の出る腰掛机一几と手彫木椅子二脚がいまもわが家に残っている。 そんな経緯で、私の貧寒な骨董買いは西洋骨董から始まった。』
あの画家の金子國義氏が初代の常連客であって、友人で会った高橋睦郎氏が骨董を買うようになっただなんて、なんて光栄なことでしょうか。
自分は、お人好しとはいきませんが、精いっぱい皆様のお役に立てるよう頑張っていきたいと思います。
最近は、とても気持ちの良いお客様が多く、日本って良い国だよな~って思うことばかりです。
これからも、気持ちよくお仕事させていただきます。
皆様ありがとうございます。